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laboratorio di biscotti


専業主婦の365日。
by fatto-a-mano-h
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インフルエンザにご注意!!

「馬鹿は風邪を引かない」「風邪を引いても気付かない」と言われて育ってきた私。未だ健在。

しかしここ2週間ほど何となくダルい。今週に入ってからは、頭痛と全身の痛みも。

熱が出なかったので誰からも労わってもらえませんでしたが、インフルエンザの症状じゃ?

そして今日ついに発熱!!  インフルエンザ~~~?


ちょうど4年前の今日、我が家はインフルエンザで怖い思いをすることに・・・


娘から始まったインフルエンザ→息子→夫・私(同時)と次々に家族を襲ったのです。

私たちのみならず、娘の様子を見に30分ほど家に来たお義母さんにもうつり→義父へ・・・

幸い子供たちの症状は軽く、2人とも3日程で熱が下がり、私と同じ日に熱が出た夫も、

37度5分とか上がっても38度と軽め。

それに引き換えこの私、初日39度以上、2日目から40度以上に上がった熱が

1週間も下がらないと言う悲惨なことに・・・

日本だったら入院ですよね?人生初、本当に死ぬかと思いました。

ホームドクターに電話しても

「これが今年のタイプで一週間は高熱が続くのが普通です」(や、普通って・・・)

「タキピリーナ(こちらの人が一番使う解熱剤)のみで」

こちらの医師、抗生剤は反対もしくは慎重ですが、解熱剤は子供に対してもバンバン使います。

解熱剤を飲み続けても39度まで下がっては、また40度。

いい加減頭にきた私。発熱6日目にして夫に

「入院したいから救急車呼んで!じゃなきゃお医者さん呼んで!」

「私が死んでもいいのね?!」と脅してようやく夫のホームドクター到着。

「6日目ですか、じゃあ後1,2日の辛抱ですよ」

「引き続きタキピリーナで」

嘘でしょう~ 私が死んだら責任とってよ!

とは勿論言えず、「あの・・ 本当に辛いんですけど・・・

日本人が「辛い」と言えば、本当に辛いって意味ですが、

「明日、あさっての我慢ですから」(ありえませ~ん!!)

日本人の我慢の限界が来たから呼んでるんですけど!!

でも、「我慢が足りなかった?」と一瞬思ってしまう辺り、日本人(笑)


そして先生、夫に向き直り「あなたは?」

「今朝から熱も7度に下がり、今日は大変調子がいいですよ」

「じゃあ熱がなければ、明日、仕事に行っても大丈夫ですよ」


そして次の日。

別の部屋で寝ていた私、ようやく起き上がりフラフラと夫と息子の居る寝室へ。

ドアを開けた途端、急に嫌な予感が・・・

暗いその部屋で寝ている2人。「ねえ、あなた・・・」と声をかけ、近づこうとすると

物凄い勢いで痙攣を始めた夫。ドアを開けてからその間30秒。作り話のようなタイミング。

よく映画でてんかん持ちの人が激しく痙攣する、まさにそうでした。

もしくはもっとひどいかも? ベットの上で跳ねる夫。

ベットから転げ落ちないように抑えること一分ほどで痙攣が治ったので、

救急車を呼び義理の弟にも電話。

途中「番地あってますかぁ~」と呑気な救急隊員に電話で応答している内に弟、到着。

救急隊員2人でも夫を担架に乗せることが出来ず、弟も手伝ってようやく救急車で病院へ。

一部始終をきょとんと見ていた子供たち、「映画と違って泣かないんだ」と

チラッと一瞬、冷静(冷酷?)な私。 しかしながらその後の記憶はとても曖昧・・・

気が付いたら子供たちは居ないし、一人ベットで寝ている私、熱は9度5分。


この日から5日間昏睡状態だった夫。


面会は建物の外の窓から病室を覗くと言うもので、まだ熱のあった私は

「あなたが全快しないと・・・彼が目覚めてから看病するのはあなたなのよ」

とみんなに面会を止められましたが、

きっと、人工呼吸器だの管だのが付いた夫を私に見せない為でしょう。

そんなに軟な人間に見えたのかと多少心外でしたが、私がまず治らなければ、その通り。

夜、寝付けず生まれて初めて「眠り薬」を飲んだのは夫の入院2日目。


原因不明? 脳炎? 髄膜炎?


これは夫の意識が戻ってから聞かされた話ですが、

夫を一目見た医師、

「覚悟はしておいて下さい」(日本風の訳)

「生きてこの病院から出ることは無いでしょう」(直訳)

これを聞かされた時の「顔面蒼白」だったと言う義父のことを思うと、

「世の中にこれほど残酷なことはないだろう」と未だに胸が苦しく、涙が止まりません。

そして夫が目を覚ますまでの間、どれだけの人が彼を見舞い、祈ってくれたか。

あれから4年も経ちましたが感謝の気持ちと涙の量は毎年増えるばかり。


そして夫、意識を失ってからちょうど5日後に目を覚ましました。 奇跡の生還。

私の顔を見た瞬間「うわっ」と泣き出した夫。

実は目が覚めても、もう私たちのことを覚えてないかもと覚悟していた私。(ごねんね、夫よ!)

私たちの所にちゃんと戻ってきてくれてありがとう。


あれから4年。

親子揃って仲良く後頭部に「褥瘡」(床ずれ)のある夫と娘。

夫はまさに「十円玉ハゲ」  娘は幸い髪の毛を下ろしていれば見えませんが

そう言う所、まるで気にならない様で日本で小学校に通う時、

かなり高い位置から始まる三つ編みにする為、ハゲがチラリ。私はハラハラ。

このハゲちゃんたちと、元気な2人を見比べては、ついつい泣き笑い。


毎年2月はかなり泣き虫になる私でした。



最後に

夫の回復を願ってくれたみなさん、どうもありがとう。

いつも毅然としていたお義父さん、お義母さんどうもありがとう。

兄の分まで働き、仕事と病院を行ったり来たりで大変だった義弟、どうもありがとう。

日本から仕事を休んですっ飛んで来てくれたお母さん、そして妹、どうもありがとう。

みんなのお陰で今日も我が家は幸せに暮らしてますよ~。


そして最後までこんな長文を読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。




追記。

私も夫もその家族も、み~んな揃って発熱。
これを読んで、「みんな食事はどうしていたのか?」「買い物は?」
と心配になったお母さんたちもいる事でしょう。(私だけですか?)
ナポリに住んでいる日本人の友人が当時妊娠中にも拘わらず、
毎日美味しいお料理、薬など(タキピリーナ!!)の必需品も届けてくれました。
「ピンポーン」とチャイムを鳴らし、我々との接触を避けてドアの前に物資を置いて行くという。
我が子たちが餓死せずに済んだのは、ひとえに彼女のお陰です。
どうもありがとうね。我が家の「出入り自由権」「おかし付きお茶権」は
永久にあなたのものですよ~ いつでもお茶しに来て頂戴。(来てるって)
子供たちも夫もあなたのことを「ジィア(叔母さん)」って呼んでるよ~
by fatto-a-mano-h | 2011-02-12 05:07 | 我が家で
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